『パオロ・トルベツコイ』オルセー美術館

フランクリン・ルーズベルト、1911年 オルセー美術館
フランクリン・ルーズベルト、1911年
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オルセー美術館で1月11日まで開催されていた『パオロ・トルベツコイ(1866‐1938年)』展に行ってきました。

トルベツコイは、ロシア人外交官の父親とアメリカ人のピアニストで歌手の母親のもとに生まれた。父親はロシア貴族でもあり、既婚者であったためパオロと二人の兄弟は私生児として生まれる。そしてパオロが5歳の時、父親と前妻の離婚が成立し母親と結婚をし認知された。

イタリア生まれのパオロ・トルベツコイは、ミラノで彫刻の勉強をする。そして90年代後半からモスクワ、サントペテルブルグで活動を始める。この時期、彼はトルストイやアレキサンドル3世の肖像彫刻の注文を受ける。そして1906年トルベツコイは、国際的なエリートが集まるパリに来る。

パリには1911年まで滞在し、その後アメリカでの生活を始める。

レオン・トルストイ、1898年頃
レオン・トルストイ、1898年頃
皇帝アレクサンドル3世の騎馬像、1905年
皇帝アレクサンドル3世の騎馬像、1905年

ブローニュの森で狼と散歩するトルベツコイ

トルベツコイは、1900年のパリ万博で作品を発表し、この地でも成功を収めていた。既にパリで名が知られていた彼は、パリとパリ郊外に2つアトリエを構えていた。

またトルベツコイは、その奇抜な性格でもパリ中の人々を魅了した。邸宅近くのブローニュの森では、飼いならされた狼と散歩をしていた。そして動物愛好家の彼は、菜食主義者でもあった。交友があったトルストイも菜食主義者で、トルベツコイは彼からも影響を受けている。トルベツコイは自分が飼っている動物たちにも肉は与えなかったという徹底ぶりだった。

パリでは、オーギュスト・ロダン、アナトール・フランス(小説家)、ジョージ・バーナード・ショー(文学者・菜食主義者)などと交流もあり、彼らの肖像彫刻も制作している。

しかし彼が一番好んだ主題は、子供と動物である。そして母親像や父親像も好み、自分の妻と幼くして亡くなった子供の姿も残している。またトルベツコイは若い女性の肖像彫刻も得意とした。

忠実な友達、1897年頃
忠実な友達、1897年頃
オーギュスト・ロダン、1906年頃(モデル)1926年以降(彫像)
オーギュスト・ロダン、1906年頃(モデル)1926年以降(彫像)

トルベツコイ、アメリカでの成功

アメリカへの進出はまず1893年シカゴ万博から始まる。トルベツコイはこの万博でメダルを受章する。そして翌年、サンフランシスコの国際博覧会にも参加する。この時には、地元の美術館が彼の作品を4作品購入している。

トルベツコイは、1911年から12年と1914年から20年までアメリカに滞在した。この期間の彼の題材は、主にアメリカ西部のカウボーイや踊り子であった。

彫刻家は、1890年ミラノにいた時に既に西部のバッファロー・ビルの公演を見ている。モデルを前にして作る彼の作風は、直ぐに成功を抑えた。トルベツコイのカウボーイは本物の雰囲気を再現していると評判であった。

踊り子については、彼は有名なダンサーをモデルにしていた。しかし成功の理由はそれだけではない。トルベツコイが作り出す飛躍する体、しなやかな肢体は、ダンスを通じて人々にほとばしる情熱を伝える。

1920年以降トルベツコイは、緑の多いパリ郊外とイタリアの湖畔の町スナで過ごす。そして1938年貧血で死亡するまで、パリ、ロンドンなどで制作と発表を続けていた。

二人のカウボーイ、1916年
二人のカウボーイ、1916年
踊り子スヴィルスキー嬢、1909年
踊り子スヴィルスキー嬢、1909年

参考サイト/オルセー美術館

19世紀パリに来たアーティスト

オルセー美術館の情報

Musée d’Orsay

開館時間 火曜から日曜9時30分から18時、木曜日は21時45分まで開館、月曜休館

住所 Esplanade Valéry Giscard d’Estaing 75007 Paris 

料金 大人(18歳以上)日時指定予約16€、大人当日券14€、18歳未満無料、

地下鉄 12番線Solférino駅、RER C線Musée d’Orsay駅

バス 63番、68番、69番、73番、83番、84番、87番、94番

駐車場 Carrousel du Louvre、Bac Montalembert 

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