ポンピドゥーセンターで開催されている、彫刻家ブランクーシの回顧展に行ってきました。
コンスタンティン・ブランクーシは1876年ルーマニアに生まれ、1904年にパリに来た。彼は1952年フランスに帰化し、1957年にパリで亡くなる。
ブランクーシの故郷は木材が豊富で、家具や家の装飾に使用されていた。彼は、若いころクラヨーヴァのビストロで働く。その時のエピソードで、ブランクーシは廃材でヴァイオリンを作り店主とお客を驚かせる。この偉業のおかげで彼は、店主とお客から奨学金をもらい美術学校に通うことになる。ルーマニアの美術学校時代の評価は高く、多くの人の援助を得ながら作品制作を続ける。
1903年彼は、パリで美術の勉強をする決心をする。そして徒歩でパリに向かう。途中ヴェネチアで家具装飾の工房で働き、美術館などに通う。そして後に彼の作品に影響を及ぼす古代エジプトの彫刻などを見る。その後ミューヘンを通りスイスからフランスに渡る。
ブランクーシは、1904年にパリに到着し美術学校へ通うことになる。そしてこの年から亡くなるまで15区の同じアトリエで制作を続ける。


ブランクーシの連作
ブランクーシは一つの題材でいくつもの作品を残している。それは、各作品は精神の向上を目指しているから常に進化する。その中でも代表的なのは、『無限の柱』である。この作品は、ルーマニアのトゥルグ・ジウに1938年に設置された。この第一次世界大戦で犠牲になった若者に捧げる記念碑は、ルーマニア南部の死者の記念碑の柱を簡略化し創作された。
また『空間の鳥』シリーズは、大理石、ブロンズ、石膏と異なった素材で作られて28種類の作品がある。ブランクーシは「私は、一生をかけて飛ぶという意味を考えていた。」と言っている。そして1919年から41年の22年間、この作品にエネルギーを費やした。


彫刻作品と空間のバランス
ブランクーシは自ら作品の撮影をしている。彼はシュールレアリスムの写真家マン・レイとも交流があった。彫刻家が撮影したブロンズ作品には、自分のアトリエが反射されて映っている。そしてこの反射により、彼が作った作品と空間、作品がどこにあるのか位置関係が分かる。
ブランクーシは亡くなった後、自分のアトリエを国に寄贈した。そしてアトリエは現在、ポンピドゥーセンターが管理をしている。彼の工房では、作品は決まった位置に配置されている。またブランクーシは、ある作品が売れると顧客に渡す前にレプリカを作成していた。それはアトリエ全体のバランスが崩れないように、売れた作品をレプリカで代用するためだった。
ブランクーシの作品は、空間とのバランスで出来上がっている。そこには台座の部分も重要な役割を果たす。彼が自ら作品の写真を映像したのは、作品と空間のバランスを表現するためだったのかもしれない。
この彫刻家の最高傑作はやはり彼のアトリエだろう。そこでは、長年の創作活動の起源と主題の探求、挑戦が感じられる場所である。

参考記事/ポンピドゥーセンター
ポンピドゥーセンターの記事
ポンピドゥーセンターの情報
2030年まで工事で休館
最後の企画展は25年9月22日まで見れます。Exhibitions – Centre Pompidou