パリのマイヨール美術館で開催されている、『ロベール・ドアノー』展に行ってきました。
ロベール・ドアノー(1912-1994)の代表作は、何と言っても『パリ市庁舎前のキス』である。その代の通り、パリジャンとパリジェンヌがパリの市庁舎前で熱い接吻をしている、白黒写真だ。
この写真は、アメリカのLIFE誌の注文でパリの恋人たちを特集にしていた。1950年に発表されたのち、1985年にポスターとして販売され大成功を収めた。世界中の人はこの写真を見て、まだ行ったことのないパリのロマンチックなイメージを膨らませていった。
そんな人気写真家ドアノーだが、4歳の時に第一次世界大戦で父が亡くなる。そしてその後を追うように母も、彼が7歳の時に亡くなる。孤児になった彼は、グラフィックアートの学校を卒業した後、写真家のアシスタントとして働く。その後、1934年自動車メーカーのルノーの産業写真家として雇われるが、遅刻が多いので5年後に解雇される。ドアノーは独立してからも遅刻魔として有名であった。
ルノーを解雇されたのちは、33年に設立した写真エージェンシー、ラフォ(Rapho)に所属する。
ドアノーは、子供たちや労働者などの弱い立場の人々から、有名アーティストや雑誌ヴォーグの華やかな生活まで幅広い世界を写真に収めた。


アーティストの肖像写真、ヴォーグとの契約
ドアノーは、20世紀の有名アーティスト、作家の写真も撮っている。その中でもユニークな写真は、ティンゲリーの肖像写真であろう。肖像写真なのに本人の顔がうつされていない。男性のシルエットの横にある機械は、間違いなくティンゲリーの作品だ。彼の顔に雲がかかっていても、この機械が彼であることを証明する。
またドアノーは1949年から52年まで雑誌ヴォーグの社員として活動する。彼の使命は、戦後の再生したフランス社会を、新たな視線で写真に収める事であった。そしてファッションが社交界や、舞踏会、文化的な生活などに関りを持っている事を表現することだ。社交界やモードの写真でもドアノーはユーモアを忘れない。
ドアノーは、1952年モデルをしていたニキ・ド・サンファルの写真も撮っている。凱旋門を背にして、デザイナーの服を着たサンファルが宣伝する車の横に立っている。モデルがポーズをとるのではなく、自然な動きをしている一瞬を切り抜く広告は、ドアノーから始まったと言われる。


ユーモアいっぱいのドアノー作品
ドアノー作品が人気があるのは、そこにユーモアや愛が感じられるからだ。言葉がなくても写真を見れば、だれでもそれが伝わってくる。
1945年にルーヴル美術館でモナリザがイーゼルの上に置かれ公開された。鑑賞者は、作品を近くで見ることができ、360度の角度から作品を見れる。この時、パリの人々はおしゃれをして美術館に駆け付けた。ドアノーはモナリザを写真に収めるのではなく、モナリザを見る人に惹かれこの瞬間を後世に残している。
そして曲がったエッフェル塔や、地獄の悪魔の口の前を通る警察官など彼独自のユーモアが作品に組み込まれている。彼は、誰が見ても一目でメッセージが伝わる写真を撮る。それは、時には偶然の一瞬ではなく、演出が入ることもある。
『パリ市庁舎前でのキス』も実は作られた映像であった。その秘密は、写真が発表された40年後の1992年に明かされた。というのもこの世界的に有名な写真のモデルは自分であると主張し、裁判を起こした人がいたのだ。しかし、ドアノーも当時から、プライバシーと肖像権の問題があることを懸念していた。そのため彼は、若い俳優とそのガールフレンドを500フランで雇ってこの写真を作成した。パリの自由を象徴する写真の種明かしをしてしまうことになって残念だが、やはり現実は厳しいのだ。


参考サイト/マイヨール美術館
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マイヨール美術館の情報
Musée Maillol
『ロベール・ドアノー』展は2025年10月19日まで開催
開館時間 10時30分から18時30分、水曜は22時まで(チケット販売は閉館1時間30分前まで)、休館日なし
住所 59-61 rue Grenelle 75007 Paris
料金 6歳未満無料、6歳から25歳まで12.5€、普通料金16.5€
地下鉄 12番線 Rue du Bac駅、4番線Saint-Sulpice駅、12と13番線Sèvres-Babylon駅
鉄道 RER C線 Musée d’Orsay駅
バス 39、63、68、69、83、84、86、87、70、94、95、96