『ジャン・エリオン』パリ市立近代美術館

頬の赤い男 1943年 ジャン エリオン 美術展
頬の赤い男、1943年 
この記事は約4分で読めます。

パリ市立近代美術館で開催されている『ジャン・エリオン(1904‐1987)』展に行ってきました。今回の展覧会では103枚の50枚のデッサンが展示してあります。2004年のポンピドゥーセンターでの回顧展以来の大規模展覧会です。

エリオンは1920年代にモンドリアンやフェルナン・レジェと共に抽象画を描き始める。彼はアレキサンダー・カルダー、ジャン・アルプ、ジャコメッティなどの彫刻家とも交流があった。彼は、抽象芸術のパイオニアであり、アブストラクトアートをアメリカに紹介した人物でもあった。

エリオンは1932年以降、数回にわたり渡米している。そして1936年にアメリカに移住し、マルセル・デュシャンとともに現地で成功を収める。その後1939年、『Follen Figure』を最後に、彼は抽象画を描くのをやめてしまい具象画に変更する。この変化の理由は、共産主義に絶望したことがきっかけともいわれている。

Red Tensions 1933年
Red Tensions 1933年
Follen Figure1939年
Follen Figure1939年

ジャン・エリオンの具象画

エリオンの絵は、具象画に転向してから売れなくなり、1946年にフランスに帰還する。プライベートでは、1943年アメリカ人コレクショナー、ペギー・グッゲンハイムの娘、ペギーンと結婚する。

エリオンは、様々なスタイルで新しい主題を描いた。そして裸体、風景画、静物画、アレゴリー、歴史画、アトリエの風景などの作品を残した。

アトリエ 1953年
アトリエ 1953年
Great Mannequin Scene 1951年
Great Mannequin Scene 1951年

ジャン・エリオンの晩年の作品

エリオンの視力は晩年弱っていった。そして彼の作品の中には、彼自身が長い間取りつかれていたモチーフが故意に混入されるようになる。

晩年の作品には自画像がいくつかある。そこに描かれているエリオンは、バイザー(帽子の前方の日よけ)をつけている。エリオンは自分の手帳の中に、18世紀の画家シャルダンが、彼と同じく視力が弱くなる病気に悩まされ、バイザーを着用していたことを記載している。そしてシャルダンの晩年の自画像では、バイザーが描かれていることが確認できる。

レクイエム2での自画像は、ひび割れた鏡に映る老いた顔、画家の目線と鑑賞者の目線の対立が彼の死を予告している。

21世紀に入り大規模な回顧展が開催され、エリオンが再評価されている。エリオンは、本当に抽象画の意味を理解していた画家と位置付けられる。というのも当時の抽象芸術はそれまで作品を全て壊す勢いだった。しかし彼は、抽象芸術が過去の作品と結びつくことにより、文化的な統合ができると考えていた。

エリオンは抽象画で成功を収めた後、フィギュラティヴアートに転向した。当時の流れとは逆を行く行為だったが、そこでの新たな葛藤と探求が今までの具象画にないものを生み出したように思える。

レクイエム2 1981年
レクイエム2 1981年
Vanitas Suite in the Studio、1982年
Vanitas Suite in the Studio、1982年

参考サイト/パリ市立近代美術館

今月の美術展

パリ市立近代美術館の情報

Musée d’art moderne de Paris

『ジャン・エリオン』展は8月18日まで開催

開館時間 火曜から日曜10時から18時(チケット販売は17時15分まで)、木曜日は21時30分まで開館(チケット販売は20時30分まで)

住所 11 Avenue du Président Wilson 75116 Paris

電話 +33(0)1 53 67 40 00

料金 大人15€、25歳以下13€、17歳以下無料

地下鉄 9番線Alma Marceau駅、Iéna駅

タイトルとURLをコピーしました