オルセー美術館で開催されている、『ジョン・シンガー・サージェント』展に行ってきました。
フランスで初めての回顧展となるアメリカの画家、ジョン・シンガー・サージェント(1856‐1925)。今回の展覧会は、彼がフランスに滞在した1874年からの10年間に焦点を当てた。ルーズベルト大統領の肖像画も描いた彼は、母国では有名だがフランスでは、あまり知られていない。というのも彼のキャリアの中心は、ロンドン(1886年‐1915年)であったからだ。今回は、サージェント没後100年の回顧展をニューヨークのメトロポリタン美術館と提携して企画した。
アメリカ人の両親を持つ彼は、イタリアのフィレンツェで生まれる。というのもアマチュア芸術家であった母は、医師の夫と欧州旅行を計画し、そのまま欧州に滞在することになったのだ。ジョン少年は、子供のころから英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語を話し、ピアノとデッサンの才能がずば抜けていた。そして両親は彼が18歳になった時、パリで絵画の勉強をさせることを決意する。1874年、時に第一回印象派展が開催された年である。
パリで人気肖像画家になる
パリに着いたサージェントは、カロリュス・デュランのアトリエで学ぶ。デュランは、肖像画家として名を馳せており英語圏の画学生を多く指導していた。そして師匠も驚くほどの画力を持つサージェントは、パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)にも合格する。
サージェントは、自然主義の画家としてその時代に生きるパリの人々を描いていった。まさにこの時期、話題になっていた印象派のテーマにもつながっている。
サージェントは1877年よりサロンにて、地中海の国々で描いた作品、風景画、肖像画を発表した。そしてこの時期、サロンでは従来の歴史画より写実的な肖像画が人気を博していた。肖像画を得意としたサージェントは、出展してすぐに賞を獲得し注文を受けるようになる。彼はモデルと気の利いた会話もでき、休憩時間には得意のピアノを弾いてモデルを楽しませていたという。
彼は保守的な肖像画ではなく、社会的にも芸術的にも新しい提案を想像豊かにしていく。サージェントは、高い技術を用い官能的でありながら違和感を与える作品を作る。そんな彼の顧客はフランス貴族だけでなくパリ在住アメリカ人や他国の外交官であった。
マダムXのスキャンダル
展示の後半にサージェントがパリを離れるきっかけとな作品を紹介している。マダムXこと、ゴートロー夫人は、アメリカ人の両親のもとニューオリオンズに生まれる。そして幼いころフランスに移住し、その後フランス人銀行家のピエール・ゴートローと結婚する。
ゴートロー夫人は、その独特の美しさから社交界でも有名であった。サージェントは、彼女に依頼し肖像画を描かせてもらう。この絵の中の夫人は濃い化粧、体のラインを強調するドレスを着ている。そして胸元が深く開き、最初のバージョンでは右肩のストラップがずれ落ちていた。その結果、ふしだらな女性とサロンで批判された。そのためかストラップは、サロン終了後に肩の上に描き直された。
絵の題は、匿名のマダムXとなっているが、当時この絵を見た人はこの人物が誰だか直ぐにわかった。サージェントは、ゴートロー夫人が亡くなるまでこの肖像画をアトリエに保管した。彼女が亡くなった翌年、1916年に彼はこの絵をメトロポリタン美術館に売却する。そしてこれが自分の一番の傑作と宣言する。
このスキャンダルの後、サージェントはロンドンに拠点を移す。その後、彼は1905年までパリのサロンに出展を続ける。そして1892年にサロンに出展した、スペインの踊り子『カルメンシータ』はフランス政府に購入される。1877年から85年までサロンの人気者だった彼だが、1925年にロンドンで亡くなった際、彼の死亡記事を一面に載せた新聞は一社しかなかった。
参考サイト/オルセー美術館
自然主義画家の記事
オルセー美術館の記事
Musée d’Orsay
『ジョン・シンガー・サージェント』展は26年1月11日まで開催されています。
開館時間 火曜から日曜9時30分から18時、木曜日は21時45分まで開館、閉館日 月曜日
住所 Esplanade Valéry Giscard d’Estaing 75007 Paris
料金 大人(18歳以上)日時指定予約16€、大人当日券14€、18歳未満無料、
地下鉄 12番線Solférino駅、RER C線Musée d’Orsay駅
バス 63番、68番、69番、73番、83番、84番、87番、94番
駐車場 Carrousel du Louvre、Bac Montalembert


