リュクサンブール美術館で開催されていたタルシラ・ド・アマラル展に行ってきました。
タルシラは、1886年にブラジルのカピヴァリに生まれた女流画家だ。実家はサンパウロの裕福なコーヒー生産者であった。そのため経済的に恵まれていた彼女は、小さいころからフランス語を学んでいた。
そのころブラジルでは1888年に奴隷制度が廃止され、89年に共和政が設立した。
タルシラは自由な子供時代を過ごしバルセロナの高等学校に通った。そして1902年には、パリを訪れとても気に入ってしまった。しかしその2年後にブラジルに戻り1人目の夫となるアンドレ・テイシェリアと結婚する。そして1906年に女の子を出産する。
そんな彼女は1920年、34歳の時にパリで絵画を学ぶことを決意する。そして1922年にはサンパウロの近代芸術週間に参加する。このイベントはブラジル芸術の古典主義と決裂するものとなる。その後、タルシラはブラジルに戻り『5人組』のメンバーに加わり、ブラジルのアートのモデルニズムを進めていく。


ブラジルモダンアート、1920代の代表作
今ではブラジルモダンアートの代表的存在のタルシラだが、当時はそれほど成功を収めていなかった。彼女の作品は、1923年から29年のものが最も評価されている。この時期、画家はブラジルの近代化する風景をいくつか描いた。
そして1922年彼女は、サンパウロに帰国した際に、作家オズワルド・デ・アンドラーデと出会う。二人の共作『Pau Brasil』ではオズワルドが詩を書き、タルシラがさし絵を担当した。またタルシラは1926年に、オズワルドと再婚している。
その後タルシラは1929年の世界恐慌で財産を失う。そしてブラジル第一共和国の終わりとともに二人の作品は、表舞台から追放されていった。
また1931年と32年には、オズワルドに付き添いソ連(ロシア)に行っている。この時期タルシラは共産党に加入し、リアリズムの作品を制作する。
タルシラは、1973年サンパウロで亡くなる。彼女は晩年になりまた空想の世界を描いた作品に戻っていった。
今回の展覧会は画家の最盛期の20年代から、共産主義の時代、そして晩年の作品までを見ることができる。


タルシラ作品の特徴
タルシラ作品の特徴は、まず絵の中に他のものと比べて巨大ななモチーフがあること。これは、ブラジルの近代化と植民地のアイデンティティーを表している。
また彼女は、風景画を得意とした。そこには、緑色の丘、地元に生息するの植物、簡略化された家や建物が描かれている。またその景色には水や土も頻繁に登場していた。
そして、タルシラはブラジルの自然や伝統文化から作り上げた動物もその景色に加えている。
最後に彼女の絵の色使いは、子供時代のデッサンに見られる青、黄色、ピンク、緑などがキャンヴァスを彩っている。これはサンパウロ時代の習作や、パリから帰国した時、リオデジャネイロ、ミナスジェライスから戻った時と複数の時代に見られる。
ブラジルでは、知る人がいないくらい有名なタルシラ。その為、映画や漫画、お酒や洋服などの派生商品もあるほどだ。裕福な家庭から財産をなくし、共産党に加わり刑務所にまで入った波乱な人生であった。彼女の創作年代をブラジルの歴史に照らし合わせながら、今まで知らなかった世界が発見できた展覧会であった。


参考サイト/リュクサンブール美術館
リュクサンブール美術館の記事
リュクサンブール美術館の情報
Musée du Luxembourg
開館時間 月曜から日曜10時30分から19時、月曜日は22時まで開館(チケット販売は45分前まで)、5月1日閉館
住所 19 Rue de Vaugirard 75006 Paris
電話 01 40 13 62 00
料金 大人14€(予約は+1,50€)、16歳から25歳まで2人で10€(月から金曜の16時から)、16歳未満無料、Place aux Jeunes!チケット(26歳未満、月曜から金曜無料、インターネット予約のみMusée du Luxembourg – Paris (museeduluxembourg.fr))
地下鉄 4番線Saint Sulpice駅、10番線Mabillon、12番線Rennes、RER B線 Luxembourg
バス 58、 84、89番 Musée du Luxembourg、63、70、86、96番Église Saint Sulpice
駐車場 Marché Saint-Germain (rue Lobineau入口)、Saint Sulpice