サンファル、ティンゲリーとキューレターフルテン
パリのグラン・パレで開催されている『ニキ・ド・サンファル、ティンゲリー、フルテン』展に行ってきました。
ニキ・ド・サンファル(1930年‐2002年)はフランス人貴族の血を引く父と、アメリカ人とフランス人のハーフの母のもとに生まれる。子供時代をアメリカで過ごしたのち1953年南仏ニースの精神病院にうつ病のため入院する。そこでアートテラピーに出会い、創作活動を始める。
ジャン・ティンゲリー(1925年‐1991年)はスイスで生まれバーゼルで美術を学ぶ。その後1950年代半ば以降はパリで活動し、ニキ・ド・サンファルに出会う。
ポンテゥス・フルテン(1924年‐2006年)はスゥエーデン人のキューレターであった。彼は、1950年代パリで博士論文の準備をしていた。そして50年代半ば、マルセル・デュシャンやティンゲリー、サンファルに出会う。また彼は56年にデュシャンの初の個展を企画した人でもある。フルテンは59年にニューヨークから戻り、ヨーロッパにポップアートを紹介する。62年ロバート・ラウシェンバーグ展、ジャスパー・ジョーンズ展、64年アンディ・ウォーホル展を企画。そして77年に開館するポンピドゥーセンターの館長に抜擢される。


サンファルとティングリーのはじめの理解者フルテン
20世紀アーティストの伝説的なカップル、サンファルとティングリーは、共通のビジョンを持っていた。それは、創作は世の中の確立された基準に反発する行為という見解である。
ニキ・ド・サンファルは60年代、『射的絵画』を発表する。これは絵の具の袋を石膏でキャンヴァスに固定し、ピストルやライフルで撃つ絵画である。
そして66年、当時ストックホルム近代美術館の学芸員であったフルテンが二人に巨大展示を依頼する。全長27メートルの『ホン(スゥエーデン語で彼女)』は、サンファルが作る女性像。そしてその内側の空間の展示はティンゲリーとパー・オロフ・ウルトヴェットが担当する。鑑賞者は巨大な女性像の中に入り、体の中にある作品を見る。この作品は3か月の展示終了後に取り壊された。
フルテンのは、破壊的で、多面的な芸術、そして鑑賞者が参加する作品のコンセプトに理解を示していた。そして彼等の作品を購入し、企画展を立ち上げ、大型展示のプロジェクトを支援していった。


サンファルとティングリーの共同制作
二人の芸術家は1971年に結婚をする。そして彼女は同年、エルサレム市長から公園に設置する子供が遊べる作品『ゴーレム』を依頼される。この技術的なサポートはティンゲリーが担当する。そして彼はイタリアのカパルビノの『タロット・ガーデン(79年‐98年)』にも手を貸していた。
二人の共同制作には、パリの『ストラヴィンスキーの泉(83年)』(ポンピドゥーセンター横)がある。
91年にティンゲリーが亡くなった後、サンファルは彼の美術館を構想する。ティンゲリーは生前、トルペド・インスティチュートをスイスのラ・ヴェレリに開設する。そしてこの工場跡地に自分の作品を集めた。この施設は美術館とはかけ離れたコンセプトで来館者を迎える。展示空間は暗く、意味不明の作品解説があり、かなり前から予約が必要であった。また見学する日時も指定される。ここは交通の便も悪く、わざと人が押し寄せないようにしていた。
結局、亡きアーティストの意思とは反対に、スイスのバーゼルにティンゲリー美術館が96年に開館された。そしてトルペド・インスティチュートは取り壊された。
二人の創作力も素晴らしいが、その価値を早くから見極めたフルテンの能力にも驚かされる。自分の審美眼を信じ、新しい芸術を世に知らせていったキューレターの様子が肌で感じられた。
参考サイト/グラン・パレ
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グラン・パレの情報
Grand Palais
『ニキ・ド・サンファル、ティンゲリー、フルテン』展は2026年1月4日まで開催
開館時間 火曜から日曜10時から19時30分、金曜22時まで(チケット販売は閉館1時間前まで)
住所 17 Avenue du Général Eisenhower 75008 Paris
料金 18歳未満無料、18歳から25歳と学生30歳まで14€、普通料金17€
地下鉄 1番線13番線Champs-Elysées-Clemenceau駅、9番線Franklin D.Roosevelt駅
鉄道 RER C線 Invalides駅
バス 28、42、72、73、80、83、93