『ゴッホ、オヴェール・シュル・オワーズ』オルセー美術館

オルセー美術館のゴッホ展『嵐雲の下の麦畑』、1890年 オルセー美術館
オルセー美術館のゴッホ展『嵐雲の下の麦畑』、1890年
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オルセー美術館で開催されていた『ゴッホ、オヴェール・シュル・オワーズ』展に行ってきました。

ゴッホ (1853年-1890年)は亡くなる前の2か月間、オヴェール・シュル・オワーズで過ごした。この自然豊かな町は、パリの北西30キロの場所に位置する。ゴッホはこの小さな町にあるラヴォー旅館に下宿し、精力的に絵画を制作した。そして彼の人生最後の70日の間に、74枚の絵画と33枚のデッサンを描き上げた。

今回の展覧会では、彼がこの町に到着してから拳銃自殺未遂をはかり、亡くなるまでの作品を紹介している。

オヴェール・シュル・オワーズの景色
オヴェール・シュル・オワーズの景色
アドリーヌ・ラヴォー
アドリーヌ・ラヴォー(下宿先の娘)

ゴッホはなぜオヴェール・シュル・オワーズに来たのか

オランダ人のゴッホがパリに来たのは、1886年の3月である。それはモンマルトルにいる弟テオの近くで生活するためであった。その後、パリの生活に疲れたゴッホは、南仏のアルルに発つ。そこで画家ポール・ゴーギャン(1848年‐1903年)と共同生活をするが、クリスマスイヴの前日にゴッホは発狂し左耳の耳たぶを切る。

アルルでの入院生活を経て1989年5月に、この街から20キロ離れたサン・レミ療養所に移動する。そしてそこで一年間、絵を描きながら過ごす。

そして1890年の5月に再び弟テオの近くで生活するため、パリの近くに戻る。オヴェール・シュル・オワーズが選ばれたのは、美術愛好家で印象派の友人を沢山もつガッシェ医師がいたからだ。そして彼は、うつ病を専門とする精神科医でもある。

ゴッホはガッシェ医師の自宅で、毎週日曜のお昼を過ごしていた。そして彼や彼の家族の肖像画を制作さし、治療のお礼として医師に贈呈した。

野原、ゴッホ
野原
オヴェール・シュル・オワーズの家、ゴッホ
オヴェール・シュル・オワーズの家

ゴッホの最後の連作

ゴッホは晩年、高さ50cm幅1mの大きさの絵画を計13枚制作した。そのうちの12枚は風景画、1枚は肖像画であった。今回の展覧会ではそのうちの12枚が見られる。そしてこの連作の中に彼の最後の作品3枚が含まれる。

これらの絵は、装飾画のサイズでフリーズのように横に並べられる。そのため個展のために準備されたとも考えられる。ゴッホはこの地に到着した時に、個展を開く話をしていた。しかし彼が生きているうちにその夢はかなえられることはなかった。そのため亡くなった直後に、弟テオが自分の自宅でゴッホの個展を開いた。

そしてその6か月後、兄の後を追うように弟も息をひきとる。オヴェール・シュル・オワーズの墓地にには二人の墓が今でも並んでいる。

森の中を散歩する男女ふたりを描いた絵画
森の中のふたり
緑色の畑と黄昏の空を描いた風景画
黄昏の風景

参考サイト/オルセー美術館

印象派の記事

ゴッホを題材にした小説

オルセー美術館の情報

Musée d’Orsay

開館時間 火曜から日曜9時30分から18時、木曜日は21時45分まで開館、閉館日 月曜日

住所 Esplanade Valéry Giscard d’Estaing 75007 Paris 

料金 大人(18歳以上)日時指定予約16€、大人当日券14€、18歳未満無料、

地下鉄 12番線Solférino駅、RER C線Musée d’Orsay駅

バス 63番、68番、69番、73番、83番、84番、87番、94番

駐車場 Carrousel du Louvre、Bac Montalembert 

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